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Q 1. 御社の沿革をお教え下さい。
Q 2. 3月11日の震災当日の庄司社長の行動と、震災発生後どの様な指示をされたかをお聞かせ下さい。
Q 3. 今回の震災での具体的な被害、被害額、休業期間等ございましたらお聞かせ下さい。
Q 4. 大震災から7ヶ月が経っていますが、震災前と震災後で考え方等、何か変わった点はありますか。
Q 5. いわき市は地震、津波、そして原発の問題も残っています。庄司社長の考える独自のいわき市復興の
ビジョンをお聞かせ下さい。 Q 6. 庄司社長は創業社長ですが、起業する上で大事な要素はどの様な事だと思われますか。 Q 7. 起業する事は簡単で継続して更には発展していく事は非常に難しいと思いますが社長が考える、 企業の継続・発展に必要な要素はどの様な事でしょうか。 Q 8. 従業員が働きやすい環境づくりや社員教育に関して取組んでいる事等ございますか。 Q 9. 御社は2009年のEntrepreneur Of The Year Japan 全国大会でグランプリを受賞し世界大会にも 出場しましたが、それによる御社事業に対する反響や影響等はどの様なものでしたでしょうか。 Q10. 創業されてから今まで一番困難だった出来事、またその困難をどの様に乗り越えたかをお聞かせ下さい。 Q11. 社長が思う尊敬出来る経営者はいらっしゃいますか。 Q12. 社長が日常生活で心がけている点をお聞かせ下さい。 Q13. 社長の中で心に残る1冊はございますか。 Q14. 不景気な中でも起業する方は多くいらっしゃいますが、先輩経営者としてこれから起業する方へ アドバイスをお願いします。 Q15. 社長の今後の夢をお聞かせ下さい。 Q16. このがんばる社長駅伝は、いわき市を拠点にがんばる素晴らしい社長の言葉を全国へ発信している サイトです。このサイトをご覧になっている全国の読者の方へメッセージをお願します。 Q17. 最後になりますが、社長の座右の銘をお教え下さい。 ![]()
平成元年(1989年)に設立しました。
創業に至る経緯ですが、当時ショルダーバック程の大きな携帯電話を見た時に、近い将来必ず胸ポケットに入る様な携帯電話が出来るはずだと思った事がきっかけでした。 その事を携帯メーカーに聞いたところ携帯を小さくするには電池パックを小さくしなければならないと知りました。地元の電池製作工場でその事を聞くと電池は生き物と同じで全ての電池にそれぞれの特徴があるとの事でした。 具体的には24時間365日使用されるので、それを常に監視・管理出来る様な装置があれば技術革新が早いとの事でした。 だったらその装置を私が作ってみようと思った事が会社設立のきっかけです。 何故、独立起業したのか?と言われれば “ 未来の夢の為 ” に起業したと言う事になります。 91年~93年位には電池パックの小型化、その後環境というキーワードで未来の子供達の為に美しい自然を残したい、大気汚染を無くしたいという思いが一致して大手のメーカーから大きな発注を頂きました。とても難しかったのですが、その試験装置の開発もクリアする事が出来ました。 世界初のハイブリット車プリウスの試験装置にも当社で開発したものが使用されました。 今思えば常にチャレンジし続けてここまできた様に思います。 これからもこの精神を忘れずにやっていこうと思います。 ![]()
丁度、震災発生時は東京の経済産業省で会議に出席していました。
東京も大きく揺れましたので「関東大震災が来たのか?」「何故こんな時に東京へ出張だったのか」と思ったのが震災発生時の率直な感想です。 ですがその後に東北が震源地だと知り、直ぐに本社に戻ろうとしたのですが、電話も繋がらず状況が分かりませんでした。車で出張していたのですぐに本社を目指して走らせました。 11日の15:30分に東京を出発し、いわき本社へ着いたのは翌日の7:00時でした。 その間本社とは連絡を取り合っていたので12日9:00時に役員は全員本社へ集合し今後の対応を協議しました。土日は休日でしたので月曜も休みにして管理職のみ出勤し、全社員の安否確認や情報の収集を行いました。その中で地震、津波だけではなく原発の問題がある事が分かりました。12日の午後には、会社の方針として社員を一時避難させる事を決めてその為の予算をとりました。社員とその家族には出来る限り本社から100km以上の圏内に退避する事を指示しました。この時は私を含め4名の役員だけが本社に残りました。 数年前にインフルエンザが流行した際、社員の各家庭に配布していた医療用の防塵マスクと、乾パン・水等も配布していましたので、退避する際に役に立ったと思います。マスクに関しては放射能も遮るものでしたので、その後の放射能問題にも対応する事が出来ました。 ![]() 私は地元企業として大事な事は3つあると思っています。 1つ目は社員とその家族の生命を守る事、2つ目にお客様に対する供給責任、3つ目は地域に対する社会貢献です。 まず一つ目に関しては社員を避難させる事は出来ました。 次にお客様に対する供給責任ですが、これは避難してしまうと生産する事が出来ません。あるメーカー様用の専用工場が東海地方にあるのですが、この状況と当社を信頼して頂き、その工場を利用させて頂きなんとか供給する事が出来ました。4月末時点は100%納入を完了する事が出来ました。御理解頂きましたメーカー様には本当に感謝の思いでいっぱいです。 最後の地域貢献に関しましては、自社の社員の安全確保とお客様への供給責任を優先してしまい、地域に対する貢献が遅れてしまいました。地域の皆様が一番困っていたのがガソリンの供給でした。そこでなんとかならないかと方々に掛け合いました。自動車教習所の備蓄センターにトータルで7000リットルのガソリンを持ってきて無償で医療機関や老人福祉施設、一般の方まで供給しました。 当然全ての方々へ供給する事は出来ませんでしたが一部の方々だけでも地域への貢献をする事が出来たと思っています。 ![]()
休業期間に関しては約4~5日で場所を移して復旧していますので対応する事が出来ました。
被害額は、津波等で駄目になったもので約4億円。その他、風評被害等で途中キャンセルなどがあり現時点で 約2億円、合わせて6億円程度の損害が出ています。 ですが、震災後のお客様へ対する対応が早かった事で逆に信頼を得る事が出来ました。大手のメーカー様も震災のダメージがあるからと、我社に優先的に仕事をまわしてくれました。一昨年の売上より今期10月の決算でより良い数字を上げる事が出来ました。 震災で皆様苦しんでいる中、売上増と言いにくい面もありますが震災後の対応を見て頂き支援して頂いた企業様が多かった事に感謝しております。 震災の復興には当社としては金銭面でも時間等その他の面でも出来る事をしていこうと思っています。 ![]()
20年一貫しているのは、社員とその家族の生命財産を守る事、お客様に対する供給責任、そして地域貢献です。
この3つは今までと全く変わりません。 今回の震災で思うのは、この国は国民を守ってくれるのか?と言う事です。今までの一連の状況を見ても非常に悲しい気持ちになります。そんな中、自衛隊や消防団、警察等の献身的な救護活動を見た時にこの様な方々に素直に感謝出来る様な国の雰囲気を作る事が必要だと思いました。 行政の方でも現地に残って必死に支援活動された方もいらっしゃいますが、まだまだ少ない気がしますね。 いわき市は断水で随分困りましたが市の給水車は土日来ませんでしたね。 でも自衛隊の方々は土日も来てくれました。足の弱っている高齢の方へは車まで水を運んでいたりしました。この様な方々が本当に尊敬される世の中を作らなければこの国は どうなるのだろうと感じます。その様な事を以前よりも考えさせられる様になりました。 ![]() ![]()
今までは東北というと東京にある本社の工場でありコストでしかなかった様に思います。ですからコストが高ければ海外へ工場を移すから、地方の工場は閉鎖と言うのが今までの流れだったと思います。 一時的には良いでしょうが長い目で見たら継続していく事はないでしょう。ましてこの震災で原発問題がありますから今後はより厳しい状況になる事は目に見えて明らかです。
私は元々、この地域の復興の為には付加価値の高い自社商品を作るメーカーが沢山出る事だと思っています。 いわき復興支援祭にも登場したアシモ(※)もそうですが、それを見た子供達が東京で技術を学び地元いわきへ帰ってきて起業する。1社100人でも50社あれば5000人の雇用になります。また彼らは、この地元を愛していますから何があっても逃げません。 いわきに本社を置きながらいわきの為に何かしようとする人が増えてくるはずです。私は、その様な子供達を本当に支援していきたいし育成する様な事でもお手伝いしたいと思っています。 本当の意味での復興に必要な事は、いわき市で生まれて育った人間でいわき市を愛していなければ心が折れてしまう気がします。 長いスパンで考えれば未来を作る子供達の力が復興には必要だと考えています。
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起業すると言う事は非常に重要な責任があると言う事です。
私は、起業する以上は社員と社員の家族を守れるだけの力を持っていなければいけないと思います。 更にお客様や関係する会社等のご支援頂ける方々への責任を守らなければならい、それから自分の住む地域に対する社会貢献が出来なければいけない。 この3つを守れなければ私は起業すべきではないと考えています。 やはり経営者は「夢」がなければいけませんね。 ![]() ![]()
起業をした時に自分の為と思っている人は駄目だと思います。
お客様にはどの様にしたら喜んでもらえるか、信頼してもらえるか、それを本気で考えて行動していけば結果として永くお付き合い頂けると思いますし、お金も後からついてくるものだと考えています。 最初から計算して損をしない様に利益の事ばかり考えていては、継続する事も発展する事もないのでは無いでしょうか。 自分がお客なら買わないと思う様なものは、作らない、売らないと言う事が凄く大事だと思います。 ![]()
東洋システムでは、ハイブリット経営と言うものを創業当時から行っています。
ハイブリット経営とは、日本独特の終身雇用と実力主義を半々で社員を見る事です。 学歴、年齢、男女等で分けるのではなく、自分の目標に向ってそれを達成した人は能力があると言う事です。 また、会社の利益は3分の1ずつ社員へ還元し、お客様に対しての研究開発費にし、社員の雇用を守る為の預貯金にしています。日本の税制上できっちり3分の1にはなりませんが、社員には常にこの事を話して理解してもらっています。 社員旅行では、社員はもちろんその家族も一緒に、普通では中々行けない様な所に行く事にしています。 今回は震災もあり、他の企業の事も考えて自粛すべきだろうとの意見もありましたが、地元の旅行会社を利用して震災で窮屈な思いをしている子供達を思いっきり遊ばせてあげたいと、家族を連れて北海道旅行へ行ってきました。 また、当社独特ですが子供参観日と言うものがあります。 昔の様に働く事、給料をもらう事へのありがたさを子供達は分からなくなってきています。ですから親の働く姿を 子供達に見せて、一緒に同じ仕事を体験してもらう事で、父親、母親の仕事の大変さやありがたみを感じて家族関係や夫婦関係も良好になっている様です。 ![]()
社員のモチベーションが非常に高まりましたね。
アメリカではグーグルやスターバックス、日本でも超一流の企業の中で地方の小さな企業である我々が選ばれた事で、自分達のやっている仕事の尊さをもう一度社員が認識し、非常に意識が向上しました。 これが一番だと思っています。 また、お客様も我々に対する見方を変えて下さったりと、沢山の良い影響がありました。 ![]() ![]()
創業当時は困難だらけだったと思うのですが、今になると忘れてしまいますね。笑
本当に色々とありました。
我々の技術を盗まれた事が第一の困難でしたね。 ですが裏切る方もいればしっかりと見ていてくれる方もいます。絶対に諦め無い事が重要です。 当社では “ やらない・出来ない・分からない ” は言わない様にしています。どの様にしたらその仕事を達成する事が出来るのか?その事しか考えません。 割と優秀な知識を持っているにも関わらず直ぐに諦めたり、出来ない理由を言ったりする事は非常に勿体ない事です。 また、納品後の製品を全て作り変えなければいけない様な事もありました。 経理部長からは、明日不渡りを出して倒産しますと言われた事もあります。実際は別口座に資金はあったので問題なかったのですがね。 でもそれを聞いた時は本当に終わりかと思いましたよ。笑 それでもどうすれば乗り切れるかを最後まで考えていました。 私は全ての面でポジティブに考える癖がある様なのでそれが良いのでしょうね。 どんな状況になっても逃げずに諦めない事が重要だと思っています。 ![]()
日本ビクターを倒産から救った、VHS開発を指揮した当時の工場長、高野鎮雄氏(後に副社長に就任)と
本田宗一郎氏の生き方、考え方を尊敬しています。 ![]() 常に何をしていても仕事の事を考えているので、強制的に “ 無 ” の時間を作る様にしています。 ![]() ![]()
田中角栄元内閣総理大臣の政務秘書を務めた人物で早坂茂三氏の
“ 駕籠(かご)に乗る人 担(かつ)ぐ人 ” ですね。 実話ですので私自身も人生の指針として為になっている一冊です。 ![]()
不景気だからこそチャンスはいっぱいあると思いますね。
まずは、絶対にブレない事。 常にチャレンジをする事。 そして日頃からお客様の為、社員の為、社会の為と言う事を口だけではなく実行する事。 そうすれば黙っていてもお客様がついてきてくれて、周りの方々からご支援を受ける事が出来て会社は大きくなっていくと思います。 簡単な様で非常に難しい事ですが、起業したからには頑張って頂きたいですね。 ![]() ![]()
以前は、大馬鹿学校と言うものを作りたいと思っていました。
地元の山を購入して東京から小さな子供を連れて来て釣りをしたり竹馬をしたり自然教育をしながら、世界一の 土方や世界一の百姓や世界一の旋盤工等自分の仕事に誇りを持てる様な仕事馬鹿を作る学校を作りたいと思っていたのです。今も変わりませんが、放射線の関係で難しいくなってしまいましたね。 現在では、20年後に世界から尊敬されて今のカタカナの “ フクシマ ” ではなく福島の企業が未来のエネルギー産業において世界の環境を守る様になったと言われる様な事を我々はやっていきたいと思っています。 その中で放射線の問題が解決すれば子供達の為に学校を作りたいですね。 ![]()
今の日本は経済も疲弊して世界1位だったものが27位まで落ちています。全国の皆さん特に若い人達も含めて20年後、30年後の日本の姿と言うものをしっかりと自分の頭に描いて欲しいです。
震災であれだけの被害を受けても暴動を起こさず、人と助け会う精神を忘れない日本の素晴らしい文化に誇りを 持って世界中に発信していって欲しいです。 20年後30年後にどこの国からも日本は凄い、自分達も日本の各業界から学ぼうと言われる様な国になる様に一緒に頑張りましょう。 ![]() ![]() 庄司社長 お忙しい中誠にありがとうございました
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とても明るく、前向きに物事を捉えて、どの様な困難からも逃げずに決して諦める事をしない社長の姿勢が多くの人を惹きつけるのだとこの取材を通して感じました。
小さなプレハブから始まったという東洋システム株式会社は、現在、いわき本社の他に相模原事業所、東海営業所、大阪営業所を持ち、二次電池試験装置の世界シェア50%という世界的な企業へと成長されています。 なくてはならないエネルギー産業の技術開発で、社長の何事にも挑戦する姿勢は、今後も新しい技術革新をもたらしてくれる事でしょう。 公式HPにもある “ 地球環境と人類の未来のために ” 東洋システムは必要な会社だと実感しました。 座右の銘である “ 和進 ” とは、庄司社長の造語で、同じ日本人として和を以って同じ方向へ進んでいくという意味だそうです。 2011年11月18日 |
がんばる社長駅伝メディア掲載情報
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